五の章  さくら
 (お侍 extra)
 



       寒 椿  〜 序 その二




 辺境の小さな小さな農村は、それでもここ近年にはついぞなかったほど暖かな冬を送ることと相成った。何しろ、この秋は野伏せりに奪われなんだので蓄えがたんとある。収穫も多かった米をそのまま自由にできたので、それをもっての買い物で、村では穫れぬものも十分に揃えることが出来たし、そこへ加えて、頼もしいお侍様がたが居残っておいでだよって、雪や寒さ以外への脅威に身を堅くする必要がないと来て。野伏せりに無理から献上を迫られ続けたここ何年しか知らないような、ずんと幼い和子らには、生まれて初めて見聞きすることにもなろう、越冬や年越しの行事や祭礼、それへと付き物な餅に団子に歌に酒で、にぎやかにも暖かく沸いた冬でもあって。そんなせいだろか、寒いの辛いのと思う間もなくの、あっと言う間に通り過ぎてったような気さえしたものだった。

 『それじゃあ お先に行って参りますね?』

 その人懐っこさとご陽気なところから、戦さの前も後も殊更に村人たちから素直に好かれていた、五郎兵衛殿と平八殿というお二人が、まずはの先鋒として虹雅渓目指して発ってゆき、高速艇にての1日がかりの強行軍で向かった先、式杜人の里がある地下水脈の取っ掛かりまで、無事に到着しましたとの知らせを電信で受けてのさて、

 『…おや。久蔵殿はどこに行かれたのでしょうか。』

 何か起きた折には飛び乗って、すぐさま虹雅渓や近隣へまで向かえるようにとの非常用。稼働中のとは別にもう一機が常駐していた格好の空艇だったから、乗ってったのの帰りを待つこともない。電信での連絡が入り次第、続いての二番手として、残りの3人も直ちに発つ…という段取りは言ってあったはずだのに。こちらのお三方へもお世話になったとのお別れのご挨拶にと、村の衆が引っ切りなしに訪のう騒ぎの中、どうした訳だか双刀使い殿の痩躯が見えなくなっていて。
『私は高速艇の機動準備をしておきますので。』
 見つけ次第、翼岩までお連れくださいなと、防寒服を着込んだ古女房から言いつかってしまった勘兵衛が、まずはの目串を刺したのが、主村落からは ずんと北になる奥向き、巨木が密集して居並ぶ“鎮守の森”だった。そのような伝言が残っていた訳ではないし、そんな素振りを見せていた久蔵だった覚えもないのだが、そちらへと踏み出した白い砂防服の背中を何とも言わずに見送ったところをみると、七郎次もまた同じような目星をつけていたに違いなく。行方の判らぬ久蔵を捜したくば あの森へ行くといいとは、お仲間である侍たちの間にいつの間にか定着していたお決まりとなっていたのも、そういえばと懐かしく思うほどの過去のことと化しており。詰め所という寝場所を提供していただいたにもかかわらず、その過敏さが仇になったか、こちらでの雑魚寝には滅多に寄りつかぬままでいた孤高の剣豪は、村人らでさえ昼間でないと寄りつかぬという鬱蒼とした常緑の古木が神殿の巨柱のように居並ぶこの森の、深閑とした静けさの中で仮眠を取るのが常とし続けていて。さすがに、全てへ鳧がついての以降は、その身に大きな傷を負ったこともあり、足も遠のいて久しくなっていて。……まま、元気であっても“雪に閉ざされた中へ誰が出しますか”とおっ母様が体を張って阻止しただろうけれど。

 “……お。”

 まだまだ随分と早い時刻だというに、こちらの段取りを聞きかじってでもいたものか、通りすがる村人たちの数も大したものであり。そのいちいちから挨拶を受け、それなりに息災になとの返事を返しつつ、ゆったりとした足取りで辿り着いた森はといえば。初めて来た折りと、さして…いやいや、全く変わってはいない威容と静けさをたたえている、神聖で森閑とした空間である。人間たちがあれほど必死で、凄惨な戦さに気を揉みの身を投じのした葛藤や煩悶や、痛みや決断や悲哀にさえ、触れただろうに素知らぬお顔で居られる大きさは、まさに…桁の違う存在ならではではなかろうか。そんな大樹の内の1つへと、手套に包まれた手を当ててみて、

 “米作りしか知らぬ村の民へ、
  安息を守るためとはいえ、
  誰ぞを害してでも身を護る方策、学ばせてしまいもうした。”

 もしかしたなら神代のころから。彼らが黙然と見守って来た素朴な人々へ、要らぬ牙を植えてしまったはこの自分が成したことと、その胸の裡にて呟いていた勘兵衛で。依頼されたことへと立てた方策としては間違ってはいない。泣き寝入りしたくはないとの奮起と覚悟から刀持つ侍を招いた彼らであり、そんな修羅を心に飼ったからには、田畑のため、家族のため、そのまま心折らずにいよと、その同じ心で覚悟せよとの叱咤と檄を飛ばし続けたけれど。彼ら自身で決意した上での依頼ではあれ、こたびの大ごとが後へと齎すだろう影響は、良しにつけ悪しきにつけ図り知れないものであり。傭兵に過ぎぬ自分がそんな先々までもを案じてやるのは、それこそ滸がましいことなのかも知れないが、これが新たな奇禍を招いたなら、その罪はやはり自分が負わねばならぬものかと。ふと、そんなことを思ってしまったほどに、ここの威容や静寂は大したものだと感じ入る。

  ―― と。

 まだ朝が開け切らぬほどもの早い時刻。冬からも脱してはいない頃合いのことゆえに、辺りはさして明るい訳ではなく。ただでさえ鬱蒼としている森の中、透かし見た程度ではどこがどうとまで見通せやしないはずが。樵が出入りをしてつけたものだろ、下生えがかすかに擦り減って刻まれた小道のその先、いくぶんか若い木が重なり合っているその向こうに、影絵のようになった横顔が確かに見えた。自分の注意力の賜物というより、この森の何かしらの気遣いのお陰のようにも思えた間合いであり、

 “……。”

 此処を発ってゆく自分への餞別だろうか。それともこの小鬼もとっとと連れてゆけということか。いやいや、こちらの彼は自分とは違う。天穹で“戦いの申し子”とまで呼ばれていた紅胡蝶は、自分の生にさえ執着しなかったほど寡欲であった分、こちらの森からも好かれておった筈。その証拠には、此処で幾夜もを過ごしていたその間、風邪ひとつ引かず、閑とした中に満ちたこれほどの精気に押し潰されもせず。何かしらへの恐れも畏れも持たぬ無垢な存在なればこそ、その芯は案外と、若竹のごとく撓やかで強靭なのかも。

 「…久蔵。」

 彼もまた、こちらの気配を森の濃密な精気に邪魔されて気づけなかったものか。声を掛けるまで素知らぬ顔でいたものが、はっとしたように振り向いたところは、まるで今の今まで深く眠ってでもいたような風情。視線は外さぬままながら、特に拒む様子も見えなかったので。この季節にはさすがに枯れてか下生えも茂みもない中を、ゆったりした歩調で歩み寄れば、

 「出立か?」

 相変わらずに張りのない声が低く聞く。口許へとまとわりついた吐息の白もごくわずかであり、体温や何や、生身の生きものとしての生々しいものが感じられないところは、そのまま冷然としていて取っつきにくいばかりな存在と、誰へも思わせもするけれど。何かを極めた練達とはこういうものか、他者を見下せるほどもの高みにおわす身がそんな態度をさせるものかと、彼もまた、そんな鼻持ちならない天才かと、村人たちへ少なからず思わせていたのかもしれないけれど。

 「名残り惜しいか?」
 「…。」

 勘兵衛には、いやさ、仲間うちの侍たちの何人かには とうに見通されている。偏った何かしらをほんの少しばかり多い目に抱えて傲慢に構え、大上段から見下ろしている…というような、薄っぺらな英才なんかではなく。むしろその逆、邪魔なものを片っ端から捨てて来ただけ、人としての蓄積は ともすれば極端に少ない身の彼であるのだと。

  ―― 何せ、刀による手ごたえが全てだったから。

 それのみが生きていることの証明であり、価値観の物差しであり。失速すれば即、足場を踏み外しての失墜から、負けか自滅かが待ち受ける。そんな究極の二択が常に身に迫るようなところで、勝者だけが得られる刹那の生を、つないでつないで生き残って来た彼だから。それへと邪魔になるものは、あっさり見切って惜しみなく手放し続けたその結果、何にも持たないまんまで今に至ってしまい、息の仕方くらいしか知らぬ我が身を持て余し、途方に暮れていたのだと知っている。戦さが終わって十余年。あんな純なお人がよくもまあ、歪みもしないで腐りもしないでの、ある意味で無垢なまんまでいられたもんですねとは、偶然同じ街に居て、その同じ十余年の世の変わりようを見て来た七郎次の言であり。それだけ強靭な魂をしている奇跡の人と、巡り会えたは僥倖。どう間違えても粗末にしちゃあいけないと、その七郎次から何につけ言われ続けてもいるほどで。
「寒うないか?」
 今だけは紅ではない青衣をまとった細い肩や首元が、何とも寒々しく見えたので。自分の首から外した首巻き、頭の向こうへ輪を回し掛け、手前を左右へ重ねと、手慣れた様子で巻いてやれば、

 「世話になった。」

 ぽつりと、小さく呟いて。白い手がそれまで向かい合っていた大きな樹の幹を撫でて見せる久蔵で。巨木ばかりのその中でも、一際大きな樹。野伏せりとの決戦を控え、弩
(いしゆみ)とその紛い物(デコイ)として切り出した樹が何本かあったが、こうまで大きいものでは飛ばし切れまいとのことで諦めた、恐らくは一番の樹齢を誇るのだろう巨大な樹。

 「離れる前にもう一度見ておこうと。」

 この根元で眠った彼なのか、その樹皮を撫でる手が慈しむように優しいのが見て取れて。何とも微笑ましい構図なのに、

 「こんな風に思うのは初めてだ。」

 離れるのが寂しいのがか、それとも、無機物へ“世話になった”と思う感情が不可解なのか。むず痒そうに眉を顰めるところが何ともはや。どっちにしたって彼を納得させられる答えは彼にしか出せぬこと。そして、こうしてわざわざ足を運んだ久蔵だという、既に出してた答えこそ。彼の倍近くは生きて来た勘兵衛には、何とも微笑ましくてしようがない。しかもしかも、


 「島田。」
 「んん?」
 「……約定、忘れてはおらぬな。」
 「ああ。」


 訊くに事欠いてそれを今更確かめた彼へ。ついのこととて口許へと浮かんだ苦笑。今度こそは見とがめられても剣呑と、白い手套をはめた手を持ち上げ、顎髭を撫でる所作にて誤魔化したけれど、

 “不器用なところが似た者は、つい集まってしまうものなのだろうか。”

 人との関わり方にまだ慣れず、とうに捕まえた存在へ、なのに幼子のように“約束”を唱えていないと安堵出来ないとは。まだそんなにも、身の置きどころへの不安が収まらぬ久蔵なのか。そうかといや、遊里に身を置き、変わりゆく世間を眺めることで、すっかりと大人になっていた古女房は、だってのに我が身を擦り減らす損な性分を、やはり直せないままでいる。

  ―― だが、それらを言うなら

 背負ったものを捨てることも忘れることも出来ない馬鹿な自分は、年が年なだけに更生が一番間に合わないに違いなく。


  “困ったことよの。”


 戦さ場で罪悪感を麻痺させた罪へのこれもまた報いだろうか。それとも、そうと思うことさえ不器用な証しだろか。細い顎を埋めた温みへ絆されたものか、品のいい引き締まりようをした口許、仄かにほころばせた連れ合い様へ。その細い背へと手を伏せ、名残りは尽きまいがそろそろと促して。さぁさ先へ進もうぞと彼の側から言い出したのは、彼自身にも気づけない、小さな小さな変化だったのかも知れなかったが……。





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  *お待たせしていた間に、
   ネタらしきものがボチボチとたまっていたので
   ちょこっとご披露させていただきました。
   取り止めがなさ過ぎてまとめられなかったとも…。
(苦笑)

めーるふぉーむvv めるふぉ 置きましたvv

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